にこにこ元気堂!

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書評「人生は廻る輪のように」 エリザベス・キューブラー・ロス その2

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死にゆく人々に寄り添い、
過酷な人生を勇気をもって
最後まで歩んだ1人の医師の自伝。

 

この本を開くと、最初の1ページ目に
末期ガンの子供たちにあてて、
エリザベスが書いた手紙が載せられています。

 

地球に生まれてきて、与えられた宿題をぜんぶすませたら
もう、からだを脱ぎ捨ててもいいのよ。

からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに
たましいをつつんでいる殻なの。

ときがきたら、からだを手放してもいいわ。

そしたら、痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。

神さまのおうちに帰っていく、とてもきれいな蝶のように自由に…。

 

* 本の表紙にある蝶は、自由になった魂を表しています。

 

この「人生は廻る輪のように」は、
人生で苦痛や困難を数多く経験した人に、特に読んでもらいたい本です。

あなたの辛さも苦しみも一切無駄にはならない

すべての経験があなたを強くし、
人間として成長する糧になる。
わたしたちは愛し、成長するために生まれてきたのだから…。

エリザベスはこれらの事を
その人生のすべてをかけて教えてくれています。

正直、私がもしエリザベスと同じ人生を生きろと言われたら
恐怖で失神しそうだけど(笑)
彼女は立派に生き抜いて、
多くの貴重な「道しるべ」と「励まし」を残していってくれました。

これは、彼女自身が書いた最初で最後の自伝であり、
子供時代から晩年までを振り返った貴重な記録が、
公私にわたり赤裸々に、驚くような内容で書かれています。

エリザベス・キューブラー・ロスは、
1926年生まれのスイス人で、医学部を卒業した後、
同級生だった恋人のアメリカ人と共にアメリカに渡ります。

結婚後、最初にニューヨークの州立精神病院に勤務し、
治る見込みがなく、20年近く長期入院させられていた
重度の精神病患者たちの治療にあたり、目覚ましい成果を上げます。

慣例を破り、幻覚剤などの劇薬を一切やめ、
患者が自立して自分の意志で生きられるようなプログラムを作り、
反発を受けながらも、病院のシステム自体を変えていきます。

薬漬けにされ、
棒で叩きのめされるような、ひどい暴力で押さえつけられ
モルモットのように扱われていた患者に対し、
初めて1人1人の患者の声を聞き、1人の人間として向き合い、
最も重要な「人間の尊厳」を守るという
当時の医学界に欠けていたことに取り組み、
大勢の患者を社会復帰させることに成功します。

大した知識も経験もない新米医師が、自分が正しいと思うことを
勇気をもって貫き、革命を起こしたのです。

 

興味深いことにエリザベスは、元々精神科が嫌いで、
希望する専門科目の最下位にのせていました。
しかし、急な妊娠が発覚し、
勤めるはずだった病院を解雇され、経済的な理由で仕方なく
誰も行きたがらないほど劣悪な
州立精神病院に勤務することになったのです。

わたしは、天職についてのブログに
「天職は自分の好きなものとは限らない!」という文を書きましたが
その最たるものがキューブラーロスです!(笑)


エリザベス自身も本の中で同様のことを言っていますが、
生まれる前に決められた人生の設計図・ブループリントのようなものがあり
その目的を果たすために、
必要な環境・状況に、運命のように吸い寄せられてしまうのです。

今回の人生で、よりいっそうの成長を望んだ場合、
それだけ厳しい人生を設定してくるようです…。(つらい。。。)

 

そのあと、彼女はシカゴ大学の精神科に職を得ます。
この時代(70年代頃)、患者が死ぬという事は
医者にとっては「敗北」や「失敗」であり、
出来れば避けて通りたい、
触れられたくない事実でした。

すでに治療法がない患者が、何のケアもされず、
厄介者のように放置されているのをエリザベスは見過ごすことができず、
「死にゆく人との対話」を始めます。

今まで陰に隠された「死」というタブーに光を当てたため、
周りから大変な反発をうけ、医学界から孤立無援となりながらも、
試行錯誤しながら臨床を重ね、
とうとうエリザベスは、
終末期医療における「死生学」という分野の第1人者で
パイオニアとなりました。

 

大勢の死にゆく患者たちは、多くの事を彼女に教えてくれましたが、
その人たちの共通したメッセージが、
「振り返って命をむだにしたと後悔しないように生きなさい。」
ということでした。

これは普通、死に際じゃないとなかなか実感できないことかもしれません。

生きたいのに生きられないというギリギリの状況になって、
ようやく生きていることの尊さを思い知るのではないかと思います。

うちの父も「もう十分生きたし、ピンピンコロリで早くお迎え来ないかな~。」
と普段からよく言っていましたが
84歳の時、すでに末期の肺ガンで治療法がないと告げられると、
「それじゃ希望がないじゃないか…。」と、
ものすごくうろたえ、意気消沈しました。
(お迎えを待ってたんじゃなかったん???…と、ツッコみたかったけど
 さすがにね…。。。苦笑)

想像と現実はまったく違うということでしょう。

普段、明日がくるのが当然のように思っていますが、決してそうではありません。

 

続きは次回で。1番心に残った話を取り上げます。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。